coffee.18.07.17.04ーフロイト雑感(20)

心が愛で満たされた人はどんな人間関係でも
上手くいく。愛が足りないから、従って神経
症になる。。これはいい。。愛を知らないか
ら。。精神病になる。。問題は。。母の愛。。
だ。。それに満たされていると、他者を求め
る必要がない。また母の愛で十分でもある。。
に。。ならないか。。だ。。幼稚園へ通い始
める時期に、母の愛が相対化、自分の欲望群
の中で、されるとしよう。。母の愛で満たさ
れるという第一の命題が崩れる。。これは。。
母の愛で満たされたいという潜在感情への転
換ではなく。。言葉通りに相対化される。。
新しい人間関係の中で、小学校、中学校、高
校へと進んでいく中で、自我が形成され、母
とは違った人格へと育っていく。。相対化さ
れた母の愛の不足、或いは欠如が、神経症の
原因としよう。。正常な発育が得られない。。
となる。。人間関係の構築は、しかし、相対
化された愛、だけではない。。数学的命題の
ようなもの。。でも。。十分可能だ。。或い
は、社会関係では、そちらの方が、契約、法
律、等、重要な場合も多い。。社会、特に仕
事、労働においては、愛は特別に必要ではな
い。。と考えられる。。神経症は30才以降に、
精神病は30才以前に生じる。。どちらも、母
の愛の不足ではなく、相対化された母の愛だ
けでは満足できない、自我の社会性と独創性
の問題だと思えるが。。20才頃、おれは大企
業に就職するのが嫌だった。。非人間的、非
人格的、没個性的。。だったからだ。。対蹠
的な、スペシャリスト、技術コンサルタント、
設計事務所が在ると知ったのは30才近くにな
ってからだ。。おれはようやく就職すること
ができた。。そしていまもその延長線上にい
る。。おれは25才で発病したが。。愛を求め
ていたのだろうか。。社会思潮への反発だっ
たのだろうか。。おれは愛のさ迷い人か。。
自己実現の亡者か。。だな。。

 

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