psycho.19.02.08.02

夢と命は。。人によっては。。違った
ものだろうが。。おれにとって。。同
じものだったらしい。。それを取った
ら。。抜け殻になってしまう。。とい
う所は。。同じだ。。何故。。呼び方
が。。違うのかな。。愛というパズル
の。。最後のピース。。夢か。。命か
。。愛を求めない。。東洋の神秘主義
思想。。だな。。愛は。。愛欲として
。。制御不可能な。。欲望の一つだ。。
非性関係的なもの。。ではない。。

性関係はない。。従って。。女はいな
い。。ラカンはいい。。いろいろな言
葉を教えてくれる。。惜しむらくは。。
言葉。。概念同士に。。因果律がない
ことだ。。事件に対する。。現実か。。
色々な切り口に終始している所かな。。
体系化。。理論の完結。。は不可能。。
だろう。。言葉と言葉の。。飛躍。。
それらの間の。。虚無。。不在。。を
楽しむにはいい。。例えば。。言葉の
持つ虚無性と。。近親相姦関係の否定
が。。結びつかない。。

斎藤環のように。。言葉。。に酔えな
い。。知れば知るほど分からなくなっ
て。。面白くなる。。馬鹿々々しい。。
いつものことだ。。こういう人ばかり
だった。。20才ころ。。みなマルクス
的実存主義の思想に酔っていた。。残
念なのは。。その時の心的風景を。。
知的風景を。。病的風景として。。一
くくりにされたことだ。。確かに。。
おれも。。どこまでが知的で。。どこ
までが病的か。。ということに。。答
えられないが。。ラカンは小林秀雄と
同じ資質だろう。。現実とか小説とか
。。その切り口は鮮やかだが。。小林
以上だ。。それに終始して。。切り口
の。。体系化を試みていない。。よう
に思う。。だから。。か。。三個の心
のカテゴリィを。。平面的に配置する
。。体系化していれば。。階層的にな
るだろう。。と。。思う。。

男たちは。。女っていいよね。。と言
う。。女たちは。。男っていいよね。。
と言う。。子が親から離れていくこと
を。。超自我の完成が。。決定づける
。。反抗期は。。その完成のための。。
仕上げ。。となる。。親離れが不十分
な子。。04才。。10才。。16才。。と
心は発達していくが。。その過程が不
十分な子が。。04才ころが重視されて
。。エディプスコンプレックスの解消
。。と呼ばれる。。超自我の発達。。
が不十分な子。。と言い換えてもよい
。。超自我が崩壊して。。精神病を発
症する。。と。。考えている。。ラカ
ン的には。。構造のあるカテゴリィ。。
象徴界の機能不全となる。。


 

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